理科の探検サイトの削除問題
できごと
科学雑誌「理科の探検」のウェブサイトがプロバイダによって公開停止されました(2019年8月30日)。
これは、「理科の探検」記事に不満を持った事業者が、裁判所に「仮処分申立」を行ったことが原因です。
事業者から通報を受けたプロバイダは「理科の探検」サイト全てを公開停止にしました(2019年9月1日時点で解除されていません9月5日に解除)。
科学的に検討されるべき課題に事業者が仮処分申請を行ったことには「特別な事情」を感じざるを得ません。
また、仮処分の申請段階で全ての記事を公開停止したプロバイダ側は、プロバイダ責任法の「権利侵害」について十分な検討を行っていないように見えます。
本件を看過すると、同様な手段によって言論の自由が侵害される事態が起こるのではないかと危惧します。
理科の探検サイト(公開停止中9月5日に解除)
「理科の探検」とは
理科の探検は2007年に創刊された科学雑誌で、科学教育の普及のためのマジメな記事が掲載されています。
この雑誌は年に一度「ニセ科学特集」を組んでおり、2019年4月号では「NMRパイプテクター」という活水装置に批判的な記事を掲載しました。
記事では「装置の原理は現代科学の水準から実現不可能である」という科学的な指摘と、「消費者法で保護されないマンション管理組合に売り込む方法の不適切さ」という法的な指摘が記載されていました。
掲載から半年近くパイプテクター販売業者からの連絡はありませんでした。むしろ、社会的に中立な立場にある人物から「事業者は著者と対話せよ」という提案が出されていたのですが、事業者が一方的に対話を拒んでいた状態です。
「NMRパイプテクター」とは
1990年代より発売されている「水道管内部のサビを解消する」とされる装置です。販売業者による動作原理は次の通りです。
- 電源のない装置から位相の揃ったマイクロ波が放出される
- 装置から出たマイクロ波は鉄製の水道管を透過する
- マイクロ波が水道管内の水の凝集体のサイズを小さくする
- 小さい凝集体から「水の自由電子」が生成される
- 水中の自由電子が6時間以上も継続し、給水管末端部まで移送される
- 水中の自由電子が赤サビを黒サビに変える
- 黒サビによって管のピンホール問題が解消し、すでに錆びた管が地震に耐えられるほど強化される
なお、“NMRパイプテクター”の構造はステンレス筐体に磁石が内蔵されただけの簡素なものであり、公正取引委員会から排除命令を出された「磁気活水器」の構造に酷似しているとのこと。
「仮処分申立」とは
「裁判が終わるのを待っていると権利の回復が困難になる場合に、一時的な措置を認める処分」のことです。
例えば「貸した100万円を返せ」という裁判が結審まで1年かかったら、その間に100万円が使い果たされる可能性があります。このような場合に仮処分によって「100万円を引き出せないようにする」などの一時的措置を行うものだそうです(専門家ではないので用語間違いはご容赦を)。
詳しくは弁護士費用の教科書サイトをご覧ください。
仮処分はあくまでも「仮」なので、民事訴訟などの「本訴」で処分を確定させる必要がありますが、この流れはなかなか複雑です。
- 請求者は仮処分だけで本訴をしないことは可能
- 請求者が本訴をしなくてもペナルティはない
- 訴えられた側は「起訴命令の申立」ができる(仮処分に従った後、いつまでも本訴されないと訴えられた側が困るから)
- 「起訴命令の申立」があると裁判所は請求者に「本訴を起こせ」と命令しなければならない
- 本訴を起こさなければ仮処分が取り消される
先ほどの例え話のように「100万円は引き出してはならない」という仮処分が出たとします。もし「100万円を貸した事実がなく」「請求者が本訴を行わなかった」場合には、いつまでたっても「自分のお金を引き出せない」という不都合が生じてしまいます。
そこで訴えられた側から本訴を促すことができるのが「起訴命令の申立」という手続きになっています。
ここで問題になるのが、今回仮処分申立で訴えられたのが「記事を書いた著者」ではなく「インターネットプロバイダ」である点です。
プロバイダは「本訴」が起こされなくても全く困りません。
逆に「本訴」を起こされると、仮処分と合わせて2回の裁判に出席することになるので、労力的には「いつまでも仮処分のまま」の方がメリットがあると言えます。
要するに、今回は「プロバイダ」を間に挟むことで、訴えた側は「公開停止」という処分を容易に得ることができましたが、裁判の当事者でない「理科の探検」側は本訴を求めることができない状態です。
これは法のバグを突いた非常に上手な訴え方だと思います(褒めてない)。
「プロバイダ責任法」とは
プロバイダ責任法は2001年に成立した日本の法律です。
(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律)
従来のインターネット上のトラブルでは、通信事業者が記事を削除しないと被害者から訴訟を受ける恐れがあり、逆に記事を削除すると発信者から権利の侵害で訴えられるという危惧がありました。
プロバイダ責任法は、一定の要件を満たした削除は民事上の責任を免れるというものです。
プロバイダ責任法は、本来であればインターネット上の被害に速やかに対応できる仕組みです。
しかし今回の「公開停止」にはいくつかの問題があります
- 「権利侵害があったと信じるに足る相当の理由がある」とまでは言えないのではないか? 科学的な指摘をすることが「権利侵害」に当たるのであれば、言論の自由が相当に制限される
- 「全ての記事を公開停止」したことは過剰な反応ではないか? 債権者の指摘はパイプテクターの記事についてのみであり、URLも明らかにされている。一部記事だけ削除すれば良いものを、全ての記事を削除することは、問題解決の手段として過剰反応ではないか
- 「仮処分申請」の判決が出ていない段階での削除は時期尚早ではないか? 仮処分申請の裁判は速やかに行われるものであり、判決後の公開停止でも問題はないと考えらえる。本件を看過すれば「訴えた」という事実だけでサイトを停止できる前例を作ったことになり、権利の濫用が危惧される
まとめ
裁判を起こすことは全ての国民に認められた権利ですから、「仮処分申請」を行うこと自体は正当な権利の行使です。しかし、記事を削除された側に弁明の機会を与えないような方法は、権利の濫用でないかとの疑念が拭えません。
編集部が話し合いに応じないような人達であるならいきなり裁判という手続きも頷けますが、実際は大学教員を勤めた雑誌編集長という社会的に信頼の置ける人物です。
もし事業者が「早急な記事の取り下げ」を望んでいるのならば、編集部に対して「相談」することが最も近道であるはずです。しかし今回の公開停止の影響で、別のURLに保存されている「理科の探検」記事へのアクセスが増加しており、事業者の目的が果たせていない状態です。
相談を避けて「仮処分」を選んだことは不自然ですし、「話をするとマズイ理由があったのではないか」という邪推を免れないと思います。